気づきって外から飛んでくるんかい?それとも内から沸き起こるんかい?
それとも内と外がピーンと繋がった時に、「ユリーカ!」って気づきを得られるのかしら?
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突然ですが、ちっと変なこと言います。
前もって断っておきます。
え~、わたしが考えますには、
気づきとは・・・
外からやってくるんじゃない?
ラジオの周波数みたいに、ある同じ周波を出している人のところに
気づきが同時にヒュ~ンって飛んでくるんじゃないかと
そんな風に思っているのですが、どう?そんな感じしません?
一度なんて、まるで細い光の線がピシって脳に入ってきたみたいに
気づきを感じちゃったことあるもんね、あたし。
ホント、音まで聞こえた感じ。
ピシーンって。
で、気づきが入った後に、それがシュワーって頭の中に広がった。
っていうか、あくまでもそんな感じということで。
そしたら、なんとも言えない感動で、涙がドバーって溢れ出てきたんです。
(これはそんな感じ、じゃなくてホントの話)
って、そんな個人的な体験をお話しようと思って、コレ書いてるんじゃなかった。
あの、何が言いたいか、、、
もし気づきが外から来るとしたらですよ
気づいた人がすごいから気づいたワケではないんですよね。
だって、無償で外から与えてもらったんだもの、ね。
だから、気づきを得たから偉いと悦に入るのではなく
「気づきを与えてくださってありがとうございます」って感謝。
そして、「いや~こんな貴重なもん無償で貰っちゃってありがたいけど
貰いっぱなしじゃ悪いわね~」って、人にも回さないとね。
しかし、もし同じ気づきが同時に光のシャワーのように
地球に住む多くの人たちに届いていたとしたら
「なにかしろ」
ってことじゃないかと思うんだけど、どうだろ?
え~、大きな布があるとします。
その真ん中をつまんだら、その部分だけが持ち上がるけど
他の部分は下に垂れちゃいますよね。
その大きな布をわたしたちの社会と例えると
気づきを与えてもらった人たちみんなで布をつまんだら
布全体、つまり社会全体を持ち上げることができるかも。
しかし、ま~社会をなんとかしようなんて話しをする前に、、、、
「もし、子供をうまく育てられなかったら、他のどんなことをしてもうまくいかないでしょう」
ドキッとした?
これはジャクリーン・ケネディー・オアシスさんがおっしゃったことだそうですが
この言葉、一母親にも当てはまるかもしれないけど
社会全体、または国にも当てはまる言葉だと思いません?
では、どのように当てはまるかちょっとやってみます。
「もし、日本の子供たちをうまく育てられなかったら
日本の将来は他のどんなことをしてもうまくいかないでしょう」
でも子供たちの教育の鍵を握っているのは、国家でも学校でもない
わたしたち一人一人の母親なのよね。
社会を良くするためには、わたしたち一人一人の母親が
まずは自分の子供をしっかり育てることから始まる・・と、そんな風に思うのですが
それだったら、誰だって考えたことあるし、できるし、やってるでしょ。
でも一人一人個別に自分の子供を育てるだけで終わるのではなく
大きなビジョンを持って、同じ志を持った人たちがつながることができたら
個々のエネルギーが大きなシネジーに変換されますね。
Energy ⇒ Synergy
と、一人一人の気づきが繋がってシネジーになったら、そのシネジーで
また周りの多くの人に気づきを広げて行くことができるのかしら。