マインドでクリエイトされるイメージって、意識できる以上に強力なものだと思います。
それが分かっている大人でさえ、マインドを自らコントロールすることは難しいでしょう。
そう踏まえて考えると、子供の中に潜在意識として埋め込まれてしまうイメージを
親が気をつけないで、市場に出回っているものをそのままポイポイ与えてしまうのは
農薬入りの野菜を食べさせるより、もっと危険だと考えるのは私だけでしょうか?
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5年くらい前のことです。
家族でジャッキー・チェンの映画「ラッシュ・アワー」を観ていました。
アクション映画は最後の最後までハラハラ・ドキドキ。
映画がクライマックスに差し掛かったところで・・・・
心臓がバクバクバク~~~
突然呼吸困難!
「しっ、心臓が・・心臓発作・・・救急車を呼んでくで~~~」
それで救急車が来ました。
でも・・・・
なんてこたない。
パニック障害のアタック。
しかし、このジャッキー・チェンのアクション映画のエンディングが、
私のパニック障害の幕開けとなりました(今は大丈夫だけどね)。
ビール飲みながらアクション映画観て⇒救急車
かっこわりー。今でも家族にからかわれます。
はたまた喘息持ちだった時、くっだらないコメディー観て笑いすぎて、
喘息の発作が起こりました。
映画は怖い。。。。
バーチャル・リアリティーを観て、それがバーチャルなのか現実なのか、
頭では理解できても、実のところ潜在意識では区別ができないんだよね。
私なんか映画でもテレビドラマでも完璧にはまっちゃって、
架空の世界からしばらく戻ってこれなくなっちゃう。
すごくリアルな夢を見て、朝ガバッと起きた時、
それが一体現実だったのか、はたまた夢か、どこまでが現実か区別がつかない・・
という経験をしたことはありませんか?
映像観てもそんな感じよ。
アメリカではそれを利用して、ベトナムの帰還兵の精神治療に、
バーチャルリアリティーを使って、彼らをベトナムの戦場にもう一度連れて行き、
実際には死闘が繰り広げられてた戦場であった野原を
穏やかで平穏な野原のイメージと頭の中で交換するという、
そんな潜在意識をいじくちゃう治療法が用いられています。
でも、それがすごい効果があるっていう記事を数年前に読んだことがあります。
ということは、、、、
映像の世界と現実の世界が区別できなくなっちゃっうことは、
本当にあり得るということなんだよね。
う~~~~ん、
親はメディアの選択を注意して考えないといけないね。
でも頭ごなしにあれ観ろ、これ観るなって言ったら、
子供はダニエルみたいに、反対の方向に行っちゃうかもしれないし、
難しいところです。
うちの場合は、ビデオ屋さんに行って親がいくつか映画を選択して、
そして、そのうちの一つくらい、子供の好きなものを選ばせていました。
だから子供とすれば、自分でも選べる自由があると思っているので、
「うちの親はダメダメってなんでも禁止する」とは思っていない。
しかし実際は、親が選択したものの方が多いというトリックなのでした。
これは本当に小さい頃からそうしてました。
息子の観たいセサミストリートを借りて、その他は虫さんのビデオとか、
世界の国々のドキュメンタリーを借りる。
そうやって息子は私たちに騙されて、これまでにたくさんの芸術映画や
ドキュメンタリーを観てきました。
しかも、彼は(うちの親は自由にさせてくれる)と思い込んでいます。
うっしっしっし。作戦大成功。
話はちょっと変わりますが・・・
可動域を広げてあげる、、、、
例えば、体を前屈にして柔軟体操するじゃない。
体の柔らかい人の可動域は大きいから、
少しの角度を曲げる事も、たくさんの角度を曲げる事もできます。
でも、可動域の小さい人は、様々な角度に体を曲げることができません。
これを子供に与えるメディアに当てはめて考えると・・・
色々なものを観ていない子は可動域が小さいけど、
色々なものを観ている子は可動域が広く、知識やものの見方に柔軟性ができ、
色々なものを観ることに対応できるようになる。
と、そんな風に考えています。
例えば、いつもくだらないテレビばっかり観ている子に、
ドキュメンタリー観せてごらん。
じっと最後まで坐って観てることができないよ。
テレビでマンガやバラエティーばっかり観てたら、
脳の可動域が狭くなくなっちゃう。
かと言って、サウンド・オブ・ミュージックみたいに、
いつもお堅いものばかり観せせても、可動域が狭くて頭が柔軟じゃなくなる。
様々なものを見せてあげて、子供が自分で考え、良いものを自ら選択できる、
しかも頭の柔軟な子供を育てようじゃありませんか。
なんて偉そうなこと言っておりますが・・・
息子が日本から持って帰ってきたクレヨンしんちゃんのコミック読んで、
大笑いしている大ばか者でありました。