なおこさんからドゥーゲンのすぐ前の前世、つまり今ドゥーゲンとして生まれてくる前の人生で、ベトナムにいたことがあると言われても、なんと言いましょうか・・そんなことこれまで全く夢にも思ってみなかったことで、”寝耳に水”とか“狐につままれた気分”とか、あぁ これ以上ことわざもでてきません。
今なんとかその時の気持ちを言葉にしようと考えているのですが、でてこないわ。。。ので、奇声バージョンでその時の気分を表現してみたいと思います。
「え~~~~~~っ!!!」
「なんだそれ~~~~~~!!!」
「ウッソーーーーッ!」
「ひえぇぇ~~~~~!」
ってな感じです。ことわざよりこっちの方がしっくりいきます。
わたしの13歳の息子の、ええ、もう、ついさっきご飯を食べさせたばかりの、ティーンエージャーのドゥーゲンが、実は前世でジェームスとベトナムで一緒だったと言われても、親としてはですよ、めんくらっちゃって、めんくらっちゃって、どう反応したらよいのか。。。
でもわたくし、自分で言うのもなんですが、体が柔らかいのですね。で、体がフニャフニャしている人っていうのは、マインドもフニャフニャしていると思うのです。
その反対を言えば、体が硬い人は頑固で融通が利かないということになりますが。と言っても、これはわたしの勝手なセオリーなんですけど。。。
それで、息子と夫の義理の父が、ベトナムで一緒だったという話を聞いて、一瞬たじろいたものの・・ だって、脳が情報をプロセスするのにちょっとは時間かかりますでしょ?(例えば火傷した時、すぐに熱いって感じないじゃないですか。そんな感じです)
しかし、体の柔らかいわたくしは(ちなみに最近お酢も飲んでいます)数秒の間をおいて(へ~ そうなのか~ まっ そんなこともあるのかしらね)と、すぐに受け入れておりました。と言っても、(ま~そんなこともあったかもしれないし、なかったかもしれないし)というニュートラルな状態ではありましたが。
しかし聞きましたよ。もちろん。一体それってどういうことなのかって。そしたらなおこさんは、「ジェームスさんとドゥーゲンくんは同じ戦場にいたの。ドゥーゲンはまだ子供よ、子供」とおっしゃいます。
わたしは「えっ、子供が戦場って、どうしてですか?」と聞き返しました。
「えぇ、子供と言っても、子供の子供じゃなくて、あのね、すごく若い人・・まだ10代だわ」
「10代で戦場に行ってた男の人・・というかまだまだ青年。その子がドゥーゲンくんなんだわ」なおこさんはそのまま続けました。
「でもね、そこで死んでるのよ。それでジェームスさんがその彼をすごく気にかけていて、だから、今でもドゥーゲンくんを上から見守っているの。だけどね、その男の子が死んだのは、戦争の汚い中で死んだんじゃないわね。なんていうか、死んだのは無残に汚い戦争にまみれて死んでないの。ドゥーゲンくんはベトナム戦争の汚い部分に触れてなかったの。なんて言ったらいいのかしら、ぐちゃぐちゃと汚い戦争の世界に、彼はいなかった感じなの。」と、一気におっしゃいます。
わたしは確認のために聞き返しました。「さっき中国のお坊さんだったって言ってたのは?」って。
なおこさんはすぐさま、優しい声で落ち着いて、「それは前の前世よ」と言いました。
私は、「ということはドゥーゲンが今ドゥーゲンとして生まれてくる前は、ベトナムに行った若い兵隊さんで、そこでジェームスと会っていて、それでジェームスの下にいた人だったということが見えているのかしら?」と、なおこさんの言ったことを繰り返し聞いて確認しました。
なおこさんは「そうそう」とか、そんな感じで締めくくり、だからと言って、わたしがどのようにそのことを受け止めたらいいなどには言及せず、ただただ彼女が見えたことを そのままわたしに伝えてくれただけで、このお話は終わったのでした。
もしかしたら、他の人へのセッションでは、前世をどのように受け止めたらいいか等のお話をされているのかもしれませんが、この時のわたしとなおこさんの前世に関する会話は、その場で、「あっそ」、「はい終わり」という感じで、サッパリとお話が済んだのでした。
実際、わたしには何の疑問もその場では浮かんできませんでした。なんと言うか、入ってきた情報を消化するのには、時間が必要であり、その時に慌てて色々なことを考えても、まったく何の答えもでないと思ったのです。
それでわたしたちはその後、ちょっと世間的な会話を交わした後にスカイプを切りました。
スカイプを切った後、もちろんわたしの中にはグワ~ングワ~ンという余韻がありましたので、今の会話をすぐにでも夫に話したかったのですが、アメリカの時間では夜中。夫はすでに寝入ってましたので、また明日にでも話そうと思い、わたしもその夜はすぐに休むことにしました。
そして次の日、、、、
夫は仕事で出かけ、昨晩のドゥーゲンの話はわたしの中で、(そういうこともあったのかもしれない)程度にまで冷めていました。しかし、パッチーにはジェームスが亡くなっているということだけは教えてあげたい。なぜなら死んでいるか生きているか判らないまま待つよりも、その方が救われると思ったからです。
そしてわたしは夫の帰りを待たず、パッチーに電話をすることにしました。彼女が悩んできたことに、これで終止符を打たせてあげることができると信じてましたので、パッチーに早く電話して伝えてあげようと、わたしの気持ちは高揚していました。
ところが意外にもパッチーからは、この話にそれといった反応はありませんでした。大体が、由紀子が信頼するしかるべき情報というのは、“ある超能力ある日本人女性に見てもらった”という以外に説明しようがないワケで、パッチーにすれば何をどう信用すればいいのか、逆に無条件で信用しろと言う方が難しい話です。
しかし、わたしとパッチーの仲は非常に上手くいっているので、パッチーはいかにもおっとりと親切に、「ま~、そういうこともあるのかもしれないわね。そうね、確かにそうかもしれないわね。
そんなことで気を使って、人に聞いてくれてありがとうね」と、逆わたしに気を使っていたように思え、そう感じたわたしは、電話の向こうで結構、気が抜けてしまってたのでした。
わたしは話題を変えるつもりで、「ところで、ジェームスから生きていた時に、ベトナムで一緒だった若い兵士のことを聞いたことありますか?」と聞いてみました。パッチーに先入観念を持って聞いてもらいたくなかったので、なぜそのようなことを聞くのか、その理由は言わずに、唐突に聞いてみました。
するとパッチーは、「一人ね、ジェームスがとても気にかけていた10代の子が戦死して、とてもショックを受けてたことがあったわ。ジェームスからわたしに戦場から送ってきた手紙にも、その子のことが書いてあったから、とても親身にしていたのね。でも何があったのかしらね・・」
それでわたしは「お母さんはその人のこと知ってるの?名前は?誰なの?」と矢継ぎ早に質問したのですが、パッチー曰く、それ以上のことは何も覚えてないらしく、「でも、なんだか新聞に載ったことがあるみたいで、ジェームスがその切抜きを取ってあったから
もしかしたら、探せばあるかもしれないわ」と言った後、彼女の頭はそれよりもジェームスのことで一杯だったのでしょう、そのことについてはわたしに何も聞かず、話題は昔話へと移行してしまったのでした。
夫が仕事から戻り、わたしは昨晩のなおこさんとの会話の内容、そして夫の母に、ジェームスの死について、電話で話をしたということを夫に報告しました。
すると驚くべきことに、、、、、
本当に驚くべきことに、、、、、
夫はジェームスが気にかけていたという青年が誰であったか、そして、なぜその若い兵士が戦場で死んだのか、彼は知っていたのです!!!
それは1969年7月3日の出来事だったそうです。
(続く・・)