遊んでいるように楽しく、同時に勉強よりも学べる方法があったらいいと思いません?
私の子供の頃の記憶では、勉強とは決して楽しいものではありませんでした。
子供には「勉強=学ぶこと=辛くてつまらないこと」とは教えたくないですね。
しかし、楽しく教えてしまうには、親のちょっとした知恵と工夫が必要だと思うのです。
でもそれは、一体どんな風にやったらいいのでしょう?
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遊んでいるように楽しく、同時に勉強よりも学べる方法があったらいいと思いません?
私の子供の頃の記憶では、勉強とは決して楽しいものではありませんでした。
子供には「勉強=学ぶこと=辛くてつまらないこと」とは教えたくないですね。
しかし、楽しく教えてしまうには、親のちょっとした知恵と工夫が必要だと思うのです。
でもそれは、一体どんな風にやったらいいのでしょう?
人の顔のシミに気づくということは、自分の顔にもシミがあるってこった。
同様に、子供に気になる欠点があるとしたら、自分にもその欠点があるってこった。
その場合、子供の欠点を治すことにフォーカスするよりも
自分の欠点を改める方が、話しが早いと思うのだ。だって子供は親の鏡だから。
躾については人それぞれ、家族それぞれのやり方があると思います。
超甘やかし、または虐待と思える程の躾など、極端なケースを除いては
どのような躾が正しいか間違っているかは、なんとも言えませんよね。
しかも、子供の性格によっても、どのように躾をしたらいいのか違うと思うの。
ちょっと叱られただけでも落ち込む子もいれば、うちの息子のように超気が強くて
信じられないくらいキカナイ子もいます。。。お宅はどうですか?
絶対にウソをつかない、というのはとても難しいことだと思いますが
それよりももっと難しいのは、自分に対してウソをつかないことだと思うのです。
そして、自分自身にウソをつかないことよりも、更に難しいことは
子供に「自分にウソをつかないことを教える」ことだと思います。
それったら一体どうしたらいいのでしょうね?
一生懸命子供を教育しても、自分だけが競争に勝てばいいという心を
子供に知らず知らずに身につけさせてたとしたら・・
そのような子供が一人いるだけならまだしも、もし頭が良くてパワーがあって
でも人のことなどお構いなしの、自分勝手な人間を多くの人が育てていたとしたら
そんな世の中って怖いと思いませんか?
自分の子供には賢い知恵もありながら、人に対して思いやりの持てる人間に
どうか育って欲しいものですね。でも、それったらどうしたらいいのでしょう?
目で見て視覚で記憶するフォトグラフィックメモリーと、耳で聞いて聴覚で記憶する
オーディトリーメモリーがありますが、例えばオーディトリーメモリーの発達は
学力に大きく影響するという研究もあるようです。
私はそれらを小さい頃から家庭で訓練する方法があると信じています。
しかもそれはお母さんが毎日の生活の中で、子供と楽しくできる方法!
ちょっとそれについて一緒に考えてみましょうね♪
「子供は天からの授かりもの」とはよく言いますが、その言葉を心で理解した上で
毎日の生活の中の子育てで活かしていくのは、とても難しいことですね。
自分に与えられた子供は親の所有物でないことは、頭ではよく分かります。
でも、頭で分かっていることを実行するためには、親のエゴを捨てて
子育てしなければいけません・・ が、そんなこと完璧にできる人はいないよね。
ただ、努力や向上をすることならできるかも?
きっと誰もに当てはまる問題ではないと思いますが
中にはとてもエネルギーの強いお子さんをお持ちの方もいると思います。
エネルギーが強い(?)と書くと、なんのことだか分かり難いとしたら
”氣が強い”とお考え下さい。で、うちの子はめちゃ氣が強くてたまりませんが
氣が強いことが悪いのではなく、その強い氣をいいことに使える様になれれば
いいんですよねぇ。でも、それをどう子供に教えたらいいのか。。ふぅ。。
子供が宇宙から与えられた本質や力を曇らせることなく
子供たちに与えられた能力を伸ばし、その力を間違ったことに使わず
持っている能力を最大限に生かして、世の中のために使えるように
私たちは神様から預かっている子供たちを一体どう教育したら良いのでしょう?
子供の方が真実を知っているんだと思う。でも親が見えないだけ。
もし、もっと子供の心の声に耳をかたむけられれば、または
親自身が曇った心ではなく、透き通った心で子供を見ることができれば
きっと今問題だと思っていることは、問題じゃあなくなるんだろうな。。